冬の気配が日ごとに増す晩秋、週末には霙が予報され、いよいよ冬に突入するのだなと予感する月曜日です。まあ、もう火曜日ですけど……。
随分と間が空いてしまいましたね。カードゲームをしようにも、環境を追いかけるのって大変なんだなと痛感。いいえ、実際には追いかけられる体力がなくなったわけなのですが。
遊戯王はいざ知らず、シャドウバースの方はそれなりの頻度で情報が目に飛び込んできます。当然、悪い意味で。
最新のものだと、大会出場者が野次を飛ばされた挙句に路上で嘔吐して気絶したとか。どこのマインドクラッシュだよって感じですが、民度の低さが窺えますね。最近流行りのクソリプの延長線上、身内ノリと集団心理が激化した結果、罵詈雑言を飛ばしても良い雰囲気になってしまったのでしょうね。まあ、同様のケースでも気絶まで行く人は稀でしょうけど……。
基本無料でプレイヤーの敷居を下げた対戦ゲームの末路としか。せめて予選だけでもネット対戦を用いればいいのに、きっとスポンサーや広告の関係があるのでしょうね。
さて、本題の前にクソどうでもいい話をしてしまうのは悪癖です。こちらでも、あちらでも。
お久しぶりです病欠です。ブログ改築から一年経ったそうですが、相変わらず体調を崩せません。酒の臭いのしないゲロを一度吐いてみたいものです。
【はじめに】
これから寒くなる季節、カレーライスはいいですね。そしてカレーといえばうんこですね。
小学生の頃に「カレー味のうんこか、うんこ味のカレーか、食べるならどっち!?」みたいな下品極まりない問答をした経験はないでしょうか? 私は当時、味覚を頼りに「食べるならカレー味のうんこだ!」と決めてしまったのですが、どう考えてもただのカレーの味がするうんこでしかないので、今回はその人類の命題とも言える問に対して定義づけを行いたいと思います。
【カレーとは】
うんこみたいな見た目の汚泥。
【うんことは】
動物が生命活動を行う上で切って離せない相棒です。まさしく金魚のフンというやつですね。
勿論、ミジンコのうんこと、ゾウのうんこでは大きな差がある為、これを同じうんこと定義していいものか……と思いましたが、とりあえずうんこに違いないのでうんこと呼称します。平仮名で見づらいのでウンコと呼称します。
ウンコの役割としては、体内に取り込み栄養を吸収したあとのカスを体外に排出すること。ついでに体内の不純物を排出すること。他、マーキングや意思疎通、威嚇、身代わり、等々……。実に多岐に及んで用いられます。
ところで、便所飯や逃げる口実としてトイレの個室に入る人も、ウンコをするという建前があるからこそ可能なのであり、人類がウンコをしなければ成立しない手法です。そのため、ウンコはヒトを社会的に補助しているとも言えるでしょう。
また、エジプトではフンコロガシが「太陽の使者」として神聖視されており、要するにフンコロガシの転がすウンコ=太陽というわけです。
つまり太陽らしきものをデザインに取り入れた万物に対して「太陽=ウンコ」「太陽をモデルにしたもの=ウンコ」→「ウンコ=太陽+太陽モデルにしたもの」という関係性を証明することができます。
これを書いていてふと思ったのですが、太陽がウンコなら……流石にそれを書く度胸はないんだがこれが。
地球上の殆どのものはウンコの光を浴びて、ウンコを崇め、むしろ地球はウンコの周りを公転していると言っても差し支えありません。
取り敢えずウンコは偉大というわけです。
【うんこ味のカレー】
確か商品化されていましたよね。私は生憎と口にする機会がありませんでしたが、驚くほどマズいそうで、食後しばらくは口臭に限らず体臭まで悲惨なことになるとか。
ですが私は異議を唱えたい。
あくまで食用として企画されたカレーが、果たしてウンコ味と呼べるのでしょうか? ウンコは上記した通り非常に多様性に富みます。狭く人間に限って言っても、食生活や体調によって味は変わる事でしょう。では、商品化されたウンコカレーは誰のウンコに準拠し味を再現させたのか。考えると闇なのでやめておきましょう。
まず「うんこ味」というものですが、例えば乳児のウンコはミルク味だと言われます。ではクリームシチューはウンコなのか? その通り!
要はウンコとして排出され得る味は全て「ウンコ味」なのです。ウンコと言っても必ずしもマズいとは限らないのだ! うんこ味のカレーと聞いてゲテモノを想像したアナタ、まだまだウンコ愛が足りませんね。
また、何よりも大切なのは仮に口に触れた瞬間、全身に怖気が走り体毛が逆立ち胃が震え喉の奥から込み上げる嘔吐感に見舞われたとしても、それはカレーという料理であることです。商品化されたウンコカレーを皆さんが喜んで口にしたのも、料理若しくはカレーであるという安心感があったからこそ、ゲテモノとして受け入れられたのだと思います。
【カレー味のうんこ】
辛いだけのうんこ。
カレーだからってこっちを選ぶ人は、詐欺に注意された方が良いと思います。
【カレーを知らない場合】
これは非常に大切ですね。この問いかけの前提条件として、回答者がカレーを知っていることがあるのですが、では、カレーという料理を知らない場合はどうか。
ウンコ味のカレー→ウンコ味のウンコ
カレー味のウンコ→辛いウンコ
どちらもウンコじゃないか!
タイムスリップものでは定番とも言える「殿様、こちらカレーという未来の料理にございます」「うむ、美味なり!」みたいな会話、実際にはありえないですよね。確実に「珍妙な臭いのするウンコ」として認識されますし、料理として説明されたところでウンコという先入観は拭えません。少なくとも一口目までは「ウンコを口にする気構え」が必要でしょう。殿様がそんな冒険をするか? 否、しないのである。
畢竟、カレーを知らないものがカレーを見るとまず間違いなく「ウンコじゃん」と思う。そしてその認識は拭えず、カレー=ウンコ論を脳内に構築する。
こうなると「うんこ味のカレーか、カレー味のうんこか?」という問いかけが機能しなくなります。事実はともかく、主観としてはどちらもウンコなのですから!
【終わらせて】
人は何をもってウンコとカレーを見分けるのか、或いは定義するのかということが「ウンコカレーか、カレーウンコか」の狙いだと思いますが、私は次のように定義づけます。
人がカレーを口にするとき、その瞬間「これはウンコじゃなくてカレーである」というカレーへの信頼を得るからこそ、安心してそれを嚥下することが出来ます。
逆に、恐らく例えどんなに素晴らしい味を持つウンコであっても、誰もウンコは食べないでしょう。
このことから、人は味ではなくモノの形で「口にしていいモノ」かどうかを判断していると結論付けて良いでしょう。
また、カレーを知らない者からすればどちらもウンコであり、「口にしていいモノ」ではありません。このことから、モノの形を判断する基準は個人差があり、その者の知識に大きく左右されるということです。
「これカレーだよ~^o^」って言って、カレー味のウンコを提供したら何人が食べるのでしょうか。結構な人数が食べる気がします。
偉そぶってウンコ連呼しましたが、当たり前ですよね。口に入れる前は目で、口に入れたあとは味覚で、それでしか判断できないのですから。
例え「カレー味の『ウンコ」味のカレー』って言ったところで、名前にウンコが入った時点で心置きなく美味しく食べることができないので、マジレスすると「カレーウンコウンコカレー」は極めて無駄な問答だと思います。そりゃ、小学生のブームだものね。
それにしても、私はどのタイミングでカレーをカレーと認識したのか……。
【参考文献】