開花を控えた桜の幹って、ほのかに赤く色付いているらしいですね。昔見かけた番組で染物屋さんが言っていました。確かに、意識してみると冬の樹木よりも赤みがかっている気がします。
今回は以前から時々読んでいたシリーズ、『妹さえいればいい。』の最新刊(刊行は昨年12月)となります。
前回10巻では千尋が弟ではなく妹であったことの告白と、それを受けた伊月が「妹モノを書けなくなる」というスランプへの突入――ということで幕を降ろしましたが、11巻でもその流れのまま物語が進行します。
これまでの作中で登場してきたキャラクター達が多数登場し、スランプ中の伊月がそれらと小噺を繰り広げる謂わばオムニバス形式。11巻終盤では個人的に二度と登場しないだろうなと思っていたキャラが登場して意表を突かれました。
伊月の中核であった“人生という物語の主人公になる”に大きく切り込んできましたね。まあ、そりゃこれまでの自身の創作意欲の根幹ともなる“妹(妄想)”に対して拒否反応が出てきたら自己否定に繋がるでしょうし、その状態であの周辺人物の濃さを再認識させられると自信なんて粉々に砕け散って、「自分には、この程度で良い。」という妥協が漏れ出るのも仕方なのかなと。
ラストのアレは、かつての那由多が憧れたのは“好きなものへ盲目的に愚直な伊月”だったと思うんですけれど、現状の伊月は“卑屈と妥協で本音を隠している”ワケで、そうした弱い部分への拒絶反応みたいなものだったのかなと。那由多自身、中学時代はその弱い人間でしたからね。
伊月は現在、ラノベ作家としても“主人公”としてもどん底にいるわけですが、ここからどうやって萎えた心に熱い妹愛が再点火するのか気になりますね。そこの問題が解決すれば、自然と那由多とも復縁できると思うので。
結構シリアスよりな展開だったと思うのですが、如何せん前回読んだモノがモノだっただけにホッと落ち着いて読めました。
最近はアニメ化で話題になっている漫画等も購入しているので、文章ばかりでなく、漫画もたまには取り上げてみようと思います。